中医鍼灸学~四診雑感2~
四診雑感 その2「聞いて之を知る」
四診のうちの聞診とは、病人の様々な臭いを嗅ぐことと、音声や呼吸音、咳嗽音などを耳で聞くことによって得られた情報から、病気を推察していこうとするものです。
しかし、都会暮らしの便利さと引換えに、私自身の嗅覚が相当、麻痺しているのではないかと思われますし、おまけに、患者さんは口臭除去のスプレーやオーデコロンといった体臭を隠す術を心得ております。
まして二便の臭いなど、映画「ラスト・エンペラー」に描かれた清朝の宮廷医ならいざ知らず、街のハリ師が嗅いでみるなどということは、現実にはありえません。
したがって、確かに現代中医学の教科書には、種々の聞診法が書かれているのですが、こと臭いに関しては、私たちが診断に用いるのは、ほとんど不可能に近いのではないでしょうか。それよりもむしろ、治療サイドを診察するのに臭いが役立つかもしれません。
先日、舛添要一氏の『母に襁褓(むつき)をあてるとき』(中央公論社)を読んだ折り、病院の善し悪しを異臭の有無で判断している部分があり、なるほど、こんなことが病院を選ぶ手だてになるんだなーと、感心したことがあります。
卑近な例では、さしずめアルコール臭いハリ師は、敬遠すべきでしょう。というわけで、私は聞診では臭いより、音声に重きを置いております。
中医学では、音声は胸中の宗気をその源にしているとされます。
宗気は、食べ物から脾の作用で作られた水穀の気と、肺によって取り込まれた自然の清気が合わさって生成され、胸中に蓄えられたものですから、その生成に直接、関与しているのは、臓器では肺、脾です。
しかし、宗気が言葉や音声になるには、神を主る心や、疏泄を主る肝が働かなければなりませんし、気の根である腎がそれを支えなければなりません。
要するに、言葉や音声は、口舌や気管、肺だけでなく、五臓の全てと関わりを持っているのです。
したがって『難経』六十一難が、「聞きてこれを知る者は、其の五音を聞きて、以てその病を別つ」と、五音や五声を聞くことで、五臓の病変を判断できるとするのも、言葉や音声が五臓の共同の作用によって行われるからでしょう。
しかし、私には、五音や五声がどのような音階なのか皆目わかりませんので、『難経』でいうような「聖」になることはとうに諦めているのですが、音声について、一つだけいつも注意することがあります。それは音声の根の有無です。
つまり、音声にはしっかりと根をはっているものから、根の無いものまであると思うのです。
以前、ある邦楽の家元で、一年ほど治療に通われた方がいました。先祖伝来の発声法を無視して胸式の発声に変えたところ、半年ぐらいは実に綺麗な声が出ていたのですが、そのうち声がかすれるようになり、次第に日常会話もままならなくなってしまったのです。方々の耳鼻咽喉科で診察を受けても異常が見られず、巡り巡って当院を訪れたわけです。
これなどは、意図的に作った根無しの声だと思います。治療は照海穴と関元穴を主とし、なんとか日常会話ができるぐらいまでにはなりました。
恐怖のあまり腰が抜けて声が出なくなったり、緊張した時、声が震えたりうわずったりするのは、一時的な下丹田の気の消失や鬱滞で、誰でも経験することですが、長患いの人でも、声に力が無くなってヒヨヒヨ声になったり震えたりしてきます。
さらに亡陰や亡陽では「鄭声」といったとぎれとぎれで聞き取れないような低い声になります。
つまり、声の根の有無は、元気を蓄える丹田の状態をよく表していると思うのです。
久病やなんらかの修業で、こうした声の状態が現れてきたら、下丹田の気が不足してきたか、肩に力の入る誤った修業をしたことによる、逆三角形の上実下虚とみてよいでしょう。その治療は当然、種々の方法で元の上虚下実の状態に戻すことです。

=完=

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