中医鍼灸学~四診雑感4~
四診雑感 その4「脈を切して之を知る」
浅川 要
『難経』六十一難の「脈を切して之を知る」とは、手首の所(寸口部)の動脈の拍動で病気を判断することです。
古来、脈診は病気を診断する上で、極めて重要な位置を占めてきました。
日本の経絡派では脈診が証を立てる決め手となりますし、我々中医派にとっても、四診のなかでその重要性は、舌診と並んで双璧をなすものということができます。
でも手首の動脈拍動部のわずか1~2㎝のところで、五臓六腑や十二経脈のことが本当にわかるのでしょうか。
四半世紀前に鍼灸学校に入った当初は、私は脈診に対し非常に懐疑的だったような気がします。
さらにその当時の東京高等鍼灸学校(現東京医療専門学校)では、二階堂流の先生が針灸の実技指導を行っていましたから、「ほら、今の針治療で寸口のどこそこ部の脈が変わったでしょう」などと脈診を教えてくださいましたが、さっぱり分かりませんでした。
経絡派鍼灸は唯一、脈に基づいて証を立て、脈に基づいて治療効果を判断するわけですから、脈が分からないとなったら、もう治療が成り立ちません。
しかも脈診が分かるまでに10年はかかるなどと言われてしまうと、とても経絡派でやっていこうなどという自信は無くなってしまいます。
そんな絶望的な時に、四診を全て使って病態を多面的に捉えていこうとする中医学に出会い、爾来、中医学的な鍼灸治療を実践してきたのですが、脈診も四診の一部なので、治療では分からないなりに必ず脈もみるように心掛けてきました。
脈診には主に脈の打ち方をみる脈状診と寸口部を左右六箇所に分け、その一つ一つで対応する臓腑や経絡を診る六部定位脈診からなります。
脈状診は主に経脈における気血の状況を現しています。
経脈の気血の流れは様々に変化しますから、脈状診では二十八脈を識別することが求められます。
しかし私の能力ではとてもそこまではわかりませんので、最低、六祖脈だけは間違えないようにしております。
これは脈が遅いか速いか(遅数)、浮いているか沈んでいるか(浮沈)、強いか弱いか(虚実)を判断することなのですが、六祖脈までは10人が10人、同じ結論を出すことが可能ですので、客観的な診断法といってよく、さらにはこれさえ正確であれば寒熱、虚実、表裏、陰陽といった病態の基本的認識で大きく間違えることはありません。
六部定位脈診では個々の臓腑の状態がわかります。経絡派はこれで各経脈間の経気の寡多を診るのですが、中医派は臓腑と対応させます。
私の場合、患者さんの両手を一度に取って、一回に最低50回の拍動を数え、脈状診と六部定位脈診を同時に診ていきますが、脈状は絶えず変化してしまいます。
例えば走った後で脈をとれば、誰でも当然、浮数で実脈が現れてきますが、しばらく時間が経つと、落ちついてきて、本来のその人の脈状になってきます。
同様に初めて治療に来られる方は皆、緊張感から弦脈を呈するわけで、弦脈だからといって、肝胆の変動などと診断しては誤診を招いてしまいます。
現在の中国ではこの脈状診が中心で、「機械的にあてはめてはならない」などとどの教科書にも記されているように、六部定位脈診にはあまり重きがおかれておりません。
しかし、私は六部定位脈診は臓腑の機能と器質の両方の状態を浮沈で示していると思えるのです。
ですから自分の感覚では六部定位の沈脈(脈状診の沈脈とは別)は一定期間、変化しませんし、そのことが六部定位脈診の重要性を示している証左でもあるのではと考えております。
20数年間、脈を診てきて、言えることは、やはり脈診は証を決定する上で決め手の一つになるということです。ですから臓腑経絡理論に立脚した古典鍼灸を臨床で用いようとするならば、脈診に精通することが求められるのではないでしょうか。
今から考えると、脈診を捨てなくてよかったなと思います。

=完=

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