中医鍼灸学~四診雑感~
四診雑感 その1「望んで之を知る」
授業では本校独自の授業「古典鍼灸書講読」や「臨床実習」などを受け持っておりますが、本来、私は街のハリ師なのです。文京区 の××で開業してもう20年になります。
毎日、少数の人を相手に治療を行っています。流行らないということもあるのですが、生来、ぶきっちょで、あまり多人数を治療できません。
10年ほど前に、あるメジャーの週刊誌で、半年間、月に1回、針灸健康コーナーを担当したことがあり、その時は毎日、治療を受けたいという電話が殺到したのですが、かなりの部分、お断りしてしまったことがあります。
私の妻は「あなたは商売がへただ」とよく言います。でも、人それぞれのポリシーがありますから、止むを得ないことだと思います。少ない分だけ一人一人の患者さんと、時間をかけてお付き合いすることができます。
特に私が立脚している中医針灸学では、四診合参といって望聞問切の四つの診察法で数多くの身体情報を集め、それに基づいて証(治療時の患者さんの病態を識別すること)を組み立てますから、来院された患者さんをこまかく観察することから、治療を開始いたします。
階段をぎしぎしと登ってくる足音から始まって、ぱっと顔を合わせたときの第一印象、話を伺っているその声の質、においや姿勢、勿論、話の内容も重要な要素なのですが、問診している時の顔の表情や身振り、場合によっては衣服の着脱など、その人に関するありとあらゆる情報を集めて、そこからその人の訴える症状は、体のどのような変動やゆがみによって起こったものなのかを判断し、治療する上での根拠とするのです。
私は脈診と舌診をそのなかでも診断を下す決め手にしていますが、顔面をちらっとみることが、意外にその人の生命力とでもいったものを計る上で、重要な要素になることがあります。
観相の人たちは「黙って座ればぴたりとあたる」といって顔を天眼鏡で覗きますし、世間でもよく「死相が現れている」とか「顔に精彩がないね」などといいますよね。ハリ師の場合もこうした第六感的なものが必要ではないでしょうか。
顔面の見方も色々あると思います。顔面の皺や黒子、吹き出物といったものに着目する人もいるでしょうし、目とか鼻といった五官の一部に重きを置く人もいます。私の場合は顔色にポイントがありますが、それにもまして大切なのは、顔面の色艶あるいは光沢といったものではないでしょうか。
そのことについて古代中国の医典『黄帝内経』には、「五臓にはそれぞれ気の色があって、顔面にその色が現れるが、死んだ草のような青色、枳実のような黄色、煤灰のような黒色、かたまった血のような赤色、枯骨のような白色が現れた場合は死の兆候であり、翠羽(雄のかわせみの羽)のような青色、鶏冠のような紅色、蟹腹のような黄色、豚の脂のような白色、烏の羽のような黒色は生気が存在している」などと書かれています。
つまり、顔面がどのような色を呈していても、艶の有無がその生死の決め手になるということです。
 『難経』に「望んでこれを知る、これを神と謂う」と記されているように、顔を診てその人の疾病が分かる医家には、最高の賛辞である神の称号が与えられています。
司馬遷の『史記』扁鵲・倉公列伝に、扁鵲が斉の桓侯をちらっと眺めただけでさっさと退出してしまい、それからまもなくして桓侯はみまかったという故事が見られますが、中国の歴代の史書には、そうした名医の話が数多く残されています。
というわけで、私も授業中や八丁堀の行き帰りなどに、名医の仲間入りをすべく、無遠慮に人の顔を覗き見て、「顔がてらついているから肝腎陰虚かな」とか「人中に横皺があるのは子宮に問題があるな」、「鼻の頭が赤いは確か脾熱」等々、様々に思いを巡らせて、密かに自分の腕を磨いておりますが、物にできるのは果していつの日でしょうか。

=完=

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